トルーレイキ法

 

レイキ交流会の目的と天分

 

レイキ交流会の目的

  交流会開催日時のところで天分(天から与えられた才能・職能など)という言葉を使いましたので、少し追加説明させて頂きます。天分という言葉は、鈴木民二先生のお話から再認識致しました。久しく聞かなかった言葉で忘れかけていましたが、鈴木先生による著名人成功体験の説明を拝聴させていたき、その感動もありましたので、人生観に関する私見を公開する気になりました。
  私は(いささかごう慢な気がしますが)人の人生を語るときに、そこに覚悟、命をかける、胆力などの言葉を使うことがありましたが、昔から使われている天分という言葉が一番分かりやすいように思います。

  本交流会の目的は、健康で長生きできる知識・考え方と簡単な技術を身につけること、そして人との出会いによって自分を高め、自分の可能性を広げていくことです。

 1.健康で長生きする方法を身につける
   四大疾患である、がん、肺病、脳と心臓疾患(脳こうそくや心筋こうそくなど)の兆候は簡単に分かります。また治せます。
   従って、四大疾患である、がん、肺病、脳と心臓の疾患は防げるのです。
   様々な病気は、本来防げます。拙著で説明しましたように長期的ストレスを防げば良いのです。
   あるいは、ストレスに対応する臓器である副腎を元気にしておけば良いのです。
   高度な、あるいは系統的な技術と知識は師範講習会に譲りますが、家庭でできる簡単な健康法や技術は身につきます。

 2.交流会で人と交わること
   多くの出会いがあれば、多くの気づきや様々な機会・可能性が得られるようになります。
   日常の世界だけでなくこのような交流会などに出て多くの人と知り合い、多くの情報を得ることによって人生に彩り(豊かさ)を与えることができます。

 3.自分の天分を見いだす機会
   私たちの多くは、様々な悩みや問題を抱えて生きています。
   このような生き方で一生を終えて良いのだろうかという疑問を持つ人もいるでしょう。
   しかし、一人で悩んでいても解決しません。人との出会いも重要です。
   様々な人の生き様、価値観(人生観)を知ることによって、大きな刺激を得ることもあるはずです。
   そのような過程で自分の天分を知る機会が増えてきます。
   もし自分の天分を知り、それを完全に生かすことができれば、充実した生活が送れるようになるはずです。
   天分を発見することは、自分自身を見つめ直して、自分自身を発見することでもあります。
   そのような機会は、本交流会のみでは得られない人が多いだろうと思います。当然のことです。
   そのような人は、自分に合った世界を見つける努力をしてください。
   例えば、鈴木民二先生は、堺の自宅で朝の六時半から定期的に講話をされています。
   この時間帯は多くの人には高いバリアになりますが、熱意のある人は一度参加されては如何でしょうか。
   もし本交流会が迷える人の飛躍へのきっかけ、足がかりの一助にでもなればすばらしいことだと思っています。

明治生まれの人々のすごさ

  人には様々な人生があり、様々な生き様があります。そして激動の時代には、魂のほとばしる激しい生き方をする人たちが多数現れています。例えば、幕末から明治にかけてがそうでした。
  時代の流れに逆らって生きた新撰組、中でもそのことを認識しながら戦い続けた近藤勇、初心を貫いて五稜郭まで逃げ、最後まで戦い続けた土方歳三などの生き様には瞠目(どうもく)せざるを得ません。彼らが必死に守ろうとしたのは滅び行く幕府ではなく、「誠」でした。そして命をかけて、それを守り通しました。また、明治維新を成し遂げた人々については言及するまでもないでしょう。そこには、生きるつらさと苦悩および喜びと希望が凝縮して躍動しています。わずか10年足らずの年月に1000年の人生が凝縮されたような印象を与えています。

 土方歳三は34歳、坂本龍馬は31歳、吉田松陰は29歳で亡くなっています。極めて短い生涯でしたが、彼らの死後150年以上過ぎた今日でも、彼らは私たちの心の中にあります。恐らく、さらに150年経っても彼らの記憶が後世の人々から消えることはないでしょう。肉体的には短い生涯でしたが、彼らは永遠の命を得たのです

  この明治維新という激動の時代の精神を育まれたのが明治時代に生まれた人々です。彼らは、ただ生きるのではなく、一生懸命生きる、目的を持って必死に生きる心構えが刷り込まれていたのでしょう。この時代の人には私たちの魂を揺さぶる生き方をした人が少なくありません。

  様々な分野で偉人が数多く生まれていますが、小学校を卒業した時点で大学を設立する志を立て、それを実現した人もいます。
  同志社大学を創設した新島襄は、資金もないのに米国に渡って寄付を募り、大学設立にこぎつけています。彼の米国での寄付を募る講演によって、多くの裕福な人が寄付をしました。しかし、中には、彼の演説に感銘を受けた貧しい農夫の方が、「この金をおまえに渡すと、俺は徒歩で半日もかかる家に歩いて帰らねばならん。しかし、それでもおまえにやる。」と言って、僅かな有り金を全部彼に渡してくれたそうです。ここに、当時の米国人の心意気、新島襄の演説のうまさ(一般に、明治の人は人を感動させる話し方、心に響く話し方に優れていました)を感じ取れます。
  日本の飛行機の父と言われる二宮忠八は、陸軍従軍中の1890年にゴム動力によるゴム軽飛行機を制作し、その後、軍用飛行機の政策を申請したが理解されず、独自に人が乗れる飛行機の開発を行いましたが、動力として必要なエンジンが手に入らず、資金の目処も立ちませんでした。そのため、大日本製薬会社に入社してその資金を得るために働きました。しかし、エンジンを買う資金を貯める前に米国のライト兄弟が有人飛行に成功しました(1903年12月17日)。その情報を二宮氏が知ったのは5年後の1908年ですが、そのため、そのことを知った二宮氏は、飛行機の開発および飛行機に対する夢を捨ててしまいました。ただ、ずっと後の1991年に彼の設計に基づいた飛行機が制作され、それにエンジンをつけると実際に人が乗って飛ぶことが確かめられました。
  なお、英国王立航空協会は、二宮氏の考案した模型の一つである玉虫型飛行機の模型を展示しています。そこには、二宮忠八氏をライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人として紹介されています
  明治時代には、このような、高い志を持ち、人生の目標を達成しようと努力した人は、本当に沢山います。

人生と天分(松下幸之助の言葉)

  私たちに馴染みの深い松下幸之助氏は1894年(明治27年)生まれですから、明治人の一人です。松下幸之助氏は人の生き様について、天分という言葉を使っています。氏の言葉から、明治人の人生観、日本人の不変的な人生観が伝わってきます。一例を紹介します。

  「真の成功は、自分に与えられた天分を、完全に生かし切ることではないでしょうか。ですから、成功の姿は、人によって異なります。社会的地位や名誉や財産を得ることが成功なのではなく、天分を知り、天分を完全に生かすことが成功なのです。天分を知るためには、それを知ろうとする強い熱意をもつこと、そしていつも素直な心をもっている必要があると思います。」

人生に必要なものは覚悟

  このような明治時代の人々の生き様は、当然、現代にも引き継がれています。しかしながら、多くの現代人は、自分自身を見失い、自分の可能性を追求せず、この世に生まれてきた有り難さ、すばらしさを忘れているように思います。
  何時襲われ、食べられるか分からない環境下にある草食動物でも、子供は飛びはね、生きている喜びを体で表現します。人間社会に比べれば遙かに厳しい環境にあるにもかかわらず、そこには生命の躍動感、生きる喜びにあふれています。
  また、明治維新の時代を生き抜いた人々は現代とは比較にならない過酷な環境にあったはずです。諸外国と比較した国力も今とは比べられない程、絶望的な状況でした。しかし、彼らには絶望感はなく、希望と夢があり、絶対に成し遂げるという不屈の意思があったはずです。彼らだけでなく、明治生まれの人々には、一般に、強い意志、決断力、そして実行力がありました。この強さ、迫力はどうして生まれたのでしょう。私の半生にはこの疑問が常にありました。

  それには、社会環境、幼少時からの家庭環境など様々な要因が考えられますが、明治生まれの人々と私たちの間にある大きな違いは覚悟の有無だろうと思います。
  野生の世界では当たり前ですが、私たちは、本来、生と死が隣り合わせになった世界に住んでいます。昔の人は、小さいときから多くの死と出会い、死が生活の中に入り込んでいました。
  ところが、核家族化した現代では、肉親や親しい人の死に出会うことが大変少なくなり、私たちは死の存在を忘れる傾向が強くなりました。死そのものから目を背けるようになったのです。しかし、生きているということは、死を認識しているからこそすばらしいものであり、奇跡のように感じるのです。

  一方、死を忘れた人には生きることのすごさがわかりません。この世に自分の存在することがどれ程すごいことなのか、どれほどの奇跡なのか(あり得ないほど小さな確率です)、考える気すら起こらないでしょう。
  しかし、自分自身の立場で見れば奇跡でしかあり得ない存在である私たちが同時代に生き、しかも交流することができるのです。この宇宙で2度と起こりえない奇跡を私たちは常に創りだしているのです
  そうである以上、私たちは、この奇跡を、喜びを十分に生かすべきです。そうすることによって、より大きな生きる喜びがあり、人のみならず生き物に対する愛情がより芽生えるはずです。そして生きていることの有り難さと奇跡を感じることは、無意識に死の存在あるいは無の存在を感じています。だからこそ生きていることがありがたく、そして奇跡のように感じるのです。

  光は影があるからこそ、その存在に気付きます。逆に、影は光があるからこそ、存在するのです。一方を見失えば、当然他方の存在価値もなくなります。生と死という当たり前の組み合わせを忘れれば、当然覚悟という概念もなくなります
  私たちは必ず死ぬということを頭の中に入れておけば、覚悟の仕方も変わってきます。人生の見方も変わるはずです。
  もし余命わずかとすれば、何をしたいのでしょうか。もしそのような状況でしたいことが見つからない人はやるべきことをやり遂げた人か、何も考えず、何もしてこなかった人だろうと思います。

  命には限りがあります。そうである以上、残された命を如何に使うかを真剣に考えることは極めて重要です。若くともそれを考えるべきなのです。そして、その答えが天分です。本当に自分のやりたいこと、満足できることをしていれば、天分を生かしていることになります。己の才能を最も生かし、そして満足感を与えるもの、それが天分です。天分は誰もが生まれながらにして持ち、誰もが生かせる性質・才能(職分)です。しかし、誰でも天分を見つけてそれを生かせるわけではありません。
  簡単に、あるいは最初からそれを見つけて生かしている人もいますが、多くの人は、天分をなかなか見つけられません。それどころか、ほとんどの人は天分を見つけようともしません。多くの場合、天分を見つけそれを生かすためには、覚悟が必要です。覚悟のない人が天分を見つけることは難しいでしょう。覚悟があるからこそ、明治生まれの人には天分を生かし切る人が多かったのです
  現代でもそれは同じです。才能にあふれ光り輝いているように見える人でも、その根底に覚悟があり、その才能を必死で磨いてきたはずです。結局のところ、充実した人生を送るためには覚悟が必要なのです。

  しかし、現代の日本人も表面に出ないだけで、いざというときには覚悟を示す人が多いように思います。多くの日本人は、腹の奥底に覚悟を秘めて生きているのです。ただ、本人はそれに気付いていないだけです。そのことは、あの悲惨な東日本大震災で示されました。私たちには覚悟する勇気があるのです。そのことを知れば、本人の人生も変わってくるのではないでしょうか。
  ある知日派の韓国人が「日本人は何ごとも人様のおかげと言い、韓国人は何ごとも人のせいにしてののしる。」と嘆いていました。また、多くの外国人が、「日本人が人様のおかげで・・」とひんぱんに話すのを不思議がります。
  この「人様のおかげ」という言葉は、日本人の典型的な謙遜(へりくだり)を表しています。人によっては卑屈に思われるかもしれませんが、謙遜は余裕の裏返しであり、「人様のおかげ」という言葉の裏には、歴史の積み重ねによる英知が隠されています。余裕のない人に謙遜はできません。そして表面的な謙遜をする人をのぞいて謙遜できる人は覚悟のできる人、自信・胆力のある人が多いように思います。
  むかし、近隣国から留学してきた研究者と日本人の謙遜について話をしたことがありますが、彼には日本人の謙遜をどうしても卑屈な態度に見えるらしく、心の余裕の現れだという私の話が理解できないようでした。内心、これが文明人であり、それを理解できるかどうかが文明レベルの差なのだと思いましたが、(精神)文化を理解してもらうことの難しさを痛感しました。

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