トルーレイキ法

 

臼井霊気療法とレイキ療法について

 

 「」は、戦前には「霊子」、「生氣」、「人体放射能」、「霊氣」など、様々な名称で呼ばれていました。この「気」を扱う体系を「霊術」と言います。「霊術」は、1950年代に中国で命名・統一された「気功」とほぼ同じ意味と考えられます(もう少し広い意味で使われたように思います)。また、手当療法を、専門用語では「触手療法」と言いました。

 本サイトでは、「レイキ」という言葉を使いますが、これは「気」と同じ意味であるとお考え下さい。一般には、気を使った様々な操作全般も「レイキ」で総称しています。この曖昧さが、レイキ法を異様なものにしている一因であるように思いますので、個人的には、すべてを「レイキ」で総称するのは好みません。従いまして、本サイトでは、「レイキ」を「気」と同じ意味でのみ使用し、レイキ操作の体系をレイキ法と表現します。

 今日、霊術という言葉は死語になり、気と言えば日本でも気功になってしまいますが、気功という言葉よりも霊術の方が古く、しかも、中国で気功が発展したのも、明治以降の日本の呼吸法による健康法ブームや太霊道などの霊術が大きな影響を与えたからです。特に、触手療法的な気功は、霊術の影響が大変強いように思います。しかしながら、気功に変わる日本語が無くなってしまい、しかも気の操法はすべて中国発と誤解されているのは残念です。そのため、霊術に変わる言葉としてレイキ法という言葉があっても良いのではないでしょうか。「気」よりも「レイキ」の方が国際的に一般化していますし、英語で「Reiki」と発音した方が、「Ki」より遙かに響きが良いのです(とても美しく聞こえます)。日本語でも「気法」より「レイキ法」の方が発音としての違和感がありません。

 手当療法には様々な種類がありますが、今日、臼井霊気療法として知られている療法が、戦前には大変普及し、霊気療法という名では知られていなくとも大きな支持を集めていました。但し、戦前の霊気療法は、現在、世界中で教えられているレイキ法とは全く異なります(霊術の一種であり、実際に多くの病気を治す力がありました)。

 現在、日本で教えられているレイキ法はすべて西洋レイキ法に則っているために、原理・原則がなく、オカルト的、あるいは宗教的になっています。言い換えますと、現在のレイキ法は、本来の臼井霊気療法と比べて、技術としての中身がありません。もちろん、この変化が進歩・改良であるなら、当然の変化であり、歓迎すべきことですが、その逆である以上、誤りを正す必要があります。特に、霊気療法の本質が全く抜け落ちているのであれば、問題であると言わざるを得ません。

 一応、伝統霊気に基づくとして、日本から発信されているレイキ法はありますが、これらも本来の臼井霊気療法とは全く無縁です。
 その一つである、外国で伝説化している先生から直接教わったことを謳い文句にしている所は、セミナー教本などから判断しますと、内容は、霊気療法学会発行の霊気の栞と富田流手当療法からの一部引用(抜粋)、また治療訓練の内容は、ほぼ西洋レイキ法といって良いでしょう。
 また、伝統霊気と西洋レイキ法の融合を謳い文句にした所でも、出版された本などから判断しますと、乾浴両手を挙げるなどの装飾を除けば、西洋レイキ法に気功の一部を混ぜたもので、極めて初歩的な気功と言って良いでしょう(乾浴には本質的な意味がありますが、教えられていないようです)。ただし、気功と違って、気を扱う手法としてのまとまり、原理・原則がありません。そもそも、本来の臼井霊気療法は、気功を入れる必要性に乏しく、そのような修飾は不要です。さらに、治療に否定的である点において、本来の臼井霊気療法を全面否定しているように思います。その意味では、(伝統霊気と言う言葉は意味不明ですが)宣伝文句とは逆に、各種のレイキ法の中で最も臼井霊気療法とかけ離れたレイキ法であると言えるかも知れません。
 両者を比較しますと、後者は治療を否定していますが、前者には、伝統霊気を再現しようとする頑なな姿勢があります。ただ、すべてのレイキ流派に共通することですが、臼井霊気療法に対する認識不足は致し方のないことでしょう。
 また、営利性の強さにおいては両者とも似たり寄ったりと言えます。精神性云々も含め、すべてビジネスとして割り切っているのであれば、私たちにもその立場は(賛成できませんが)理解できます。

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