トルーレイキ法

 

レイキ法雑感 - 気の使いすぎ

2011年09月21日

気・レイキはいくら使っても消耗しない

  表題は極めて当たり前のことなのですが、レイキ法ではことさら強調されますので少し説明しておきます。
  そもそも、気が消耗するという発想・考え方にはとても異質なものを感じます。気・レイキは、太陽(天)からくるものであれ、大地からくるもの、あるいは周りの物質・生命体や自分自身で発するものであれ、温度が絶対零度でない限り、放出し続けます。

  気・レイキをエネルギーと考えれば分かり易いだろうと思います。基本的に天にある太陽からのエネルギーをもらって、大地や地上の物体は温められ、輻射エネルギーとして自らも放出します。従って、私たちは大地や周りの物質・生命体から常にエネルギーをもらっているわけです。そして自らも放出していますが、お互い釣り合いがとれていますから、特別に増えたり減ったりすることはありません(実際には宇宙に放出されますが、常に太陽からエネルギーをもらっているので減少するわけではありません)。

  ただ、人間の場合、無生物と異なり、発熱体でもありますので(レイキ法や気功の)訓練を積めば、自然放出以上の(気・レイキとしての)エネルギーを放出することが可能になります。そこにレイキ法や気功の存在価値があるわけです。言い換えますと、その部分(手)の温度が少し高くなっています。それは、自らの身体を活性化している証でもあるわけですから、体全体の温度を上げる発熱と異なり、それによって疲労することはありません。

気功でも気は消耗しない

    気が消耗するという考え方は気功からきているのだろうと思いますが、上記の理由で考えられない現象です。ただ、実際に気功治療をしている人達は無駄使いを非常に嫌いますし、長年気功治療を行っていると気の力が落ちてくるという話を良く聞きます。

    これが事実であれば、どのように考えればよいのでしょうか。私が接触した気功家は非常に少ないので、その経験から判断するのは少し危険ですが、彼らに共通していたことは、気を出すときに非常に気張るということです。何のためにそんなに気張るのかという思いが内心ありましたが、とにかくもの凄く気張ります。このことから類推できることは、肺に負担をかけすぎるということです。恐らく肺が疲れ、最終的に気功家は肺を痛めるのではないでしょうか。そのため、肺活量が減少して、気張りにくくなるのではないかと考えています。

    実際、霊術の世界でも気合い術の方で肺を痛める人がいたという記憶があります。そうであるならば、気功でも気が消耗するのではなく、気の減少は、まず肺の疲労によって起こり、最終的に肺を痛めた結果であると考えられます。
  同様に、一般的に流布しているレイキ法における「レイキが身体を通路として通り抜けるだけだから減らない」という考えも不適切です。レイキ(気)と全く関係のない話になります。

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