レイキ法雑感 - トルーレイキ(療)法の呼吸 |
トルーレイキ(療)法の呼吸は自然呼吸
トルーレイキ(療)法研究会に出席される方は、師範級以上の方が多いので、呼吸法については、腹式呼吸をすること以上の指導はしていません。長年染みついた(悪しき?)呼吸法は簡単には変わらないので、自然に腹式呼吸ができるようになることだけを指導しています。
ただ、全くレイキ法を知らない白紙の方の指導も始めるようになりましたので、トルーレイキ(療)法の呼吸の仕方について、一言説明しておきます。
トルーレイキ(療)法の呼吸はすべて鼻から息を吸って、鼻から息を吐きます
トルーレイキ(療)法では、決して口から息を吐くことはありません。臼井霊気療法でも同じはずです。「息を鼻から吸って鼻から吐く」と記述した文献は見つかりませんでしたが、口から吐くと言うことは、決してしていなかったはずです。そう言い切れるのは、原理原則の問題だからです。霊術にも、息を口から(強く)吐く呼吸法はあります。ただ、現代のレイキ法で、口から吐く呼吸法を指導しているのは、気功を真似ているからだろうと思います。霊術の影響の可能性がないとは言い切れませんが、それぐらい勉強しているのであれば、臼井霊気療法を勉強して理解しているはずですから、極めて考えにくいことです。他の動作も含めて、霊術の匂いが全くなく、気功そのものという感じがします。
同じ気を扱うのですから、気功でも臼井霊気療法でも良いものは取り入れるべきだと思いますが、その場合、気功の原理とレイキ法の原理を理解した上で取りいれるべきです。両者の整合性を無視すべきではありません。そうでないと、何とも奇妙なものになってしまいます。
例えば、他流派のレイキ交流会に出席したとき、そこで「ハー」と勢いよく息を吐く練習をする一方、「大宇宙と繋がり、己の身体を宇宙エネルギーの通路として・・・」等の動作をさせられますと些かしらけてしまいます。それだけでなくレイキ法の動作の後で、(同じ目的の動作なのですが)気功の動作を真似て行うなど、原理原則を重視する人間には、大変見苦しく感じることが少なからずありました。
イメージ呼吸でも、鼻から息を吐きます
チャクラ呼吸は、各チャクラの位置で呼吸するイメージで行いますが、このとき、口から息を吐くように指導する所が多いのではないでしょうか。
しかし、トルーレイキ(療)法では鼻から吐いて行います。口から吐く方がイメージしやすいと思われるかもしれませんが、それは口から吐く練習をしてきた結果であって、最初から鼻から吐く練習をしていれば違いはありません。
気功と違って、臼井霊気療法では、治療時に口から息を吐くことは決してありません。それ以外の時でも、鼻から息を吐きます。従って、トルーレイキ(療)法では常に鼻から息を吸い、鼻から息を吐く呼吸をします。要するに、腹式呼吸をします。
トルーレイキ(療)法研究会では、練習中に「ハー」と口から息を吐く方もいらっしゃいます。それはそれで結構です。こちらで強制的にその呼吸の仕方を変えようとは思っていません。ただ、レイキは身体から発する気であって、身体を単なる通路として流れる宇宙エネルギーであるという考え方は捨てていただいています。そもそも、身体を宇宙エネルギーの流れる通路と思いながら、口から勢いよく「ハー」と吐き出す練習をするのは非常に不自然です。その矛盾に気づくべきです。
恐らく、レイキ実践者の方の多くは、「宇宙エネルギー」や「身体はレイキの通路」という考え方を否定することに強い反発を感じるだろうと思います。ただ、この問題は、自然に身体で理解できるようになることですので、議論する意味は余りないだろうと思っています。
以前にも書きましたが、レイキ実践者としての練熟度の問題なのです。レイキ法を習い始めると、すぐに頭頂からエネルギーが入ってくるような感覚が生じますので、宇宙エネルギーが身体を通路として通るという説明を抵抗感なく受け入れられるだろうと思います。そういう感覚があるからです(但し、より鋭敏になれば違った感覚があります)。
遠隔レイキの場合も同じです(この場合も、より鋭敏になりますと、外からエネルギーがくるというより、内からエネルギーを発している感覚が得られるようになります)。
しかし、他のページでも書きましたが、レイキ実践者としての能力が上がってくると、足の裏(主にかかと)を通じて地から上がってくるエネルギーの方が遙かに強くなってきます。かかとから頭頂に抜けるエネルギーが強くなると、天からくる宇宙エネルギーの意識は殆どなくなります。そして、地面からはい上がってくるエネルギーを単に通り抜けさせるのではなく、自分のエネルギーとして活用できるようになります。そのような段階に達した方は、身体はレイキの通路という考え方から、抜け出しているだろうと思います。そうでなくとも、そのようなレベルの方とならば極めて有意義な議論ができるだろうと考えています。