過保護とレイキ

 

過保護の弊害(へいがい)

2012年07月08日

  本ホームページは、病気、健康、伝統療法などを科学や西洋医学などに基づいて、独自の視点で解釈し、健康(回復)に役立つ情報(手法)を公開することを目的にしていますが、その立場で、今回、社会的な問題及び文明論を3回に分けて述べさせて頂きます。

ストレス社会について

  日本はストレス社会であるという言い方をされる場合があります。自殺率の高さは、世界で1位、2位を争っていますし、精神疾患も少なくありません(下表参照)。

精神及び行動の障害の総患者数の年次推移(単位:千人)*1)
  平成11年(1999)  1,818
  平成14年(2002)  2,277
  平成17年(2005)  2,647
  平成20年(2008)  2,815

  上表は入院もしくは通院している患者数(平成20年で25人に1人の割合)ですから、潜在的な患者数を含めますと10人に1人以上の割合になる可能性があります。
  これは大変な数字です。確かにストレス社会と言って良いのかもしれません。しかし、部分的に同意できますが、本質を見誤っているように思います。社会が豊かになるにつれてストレスが増えていることに疑問を持つべきです。これだけ精神疾患が多くなると、異常さを感じます。
  必然的に、以下のような疑問がわき起こるはずです。
  1.戦前の日本人、特に戦時中の日本人は、今よりはるかにストレスが少なかったのでしょうか。
  2.北朝鮮や中国の人々は日本人よりストレスが少ないのでしょうか。
  3.水を汲(く)むために、水桶を持って、毎日、何キロメートルも歩かなければならない国の人々は、
    日本人よりストレスが少ないのでしょうか。
  4.貧困で毎日の食事すら不確実な国の人々は、贅沢三昧の日本人よりストレスが少ないのでしょうか。
  実際、彼らは日本人よりもストレスが少ない可能性があります。少ないのかもしれません。
  しかしそうであるなら、ストレスとは一体何かという疑問が生じます。
  要するに、今の日本はストレス(ストレッサー)が多い社会というよりも、日本人が過剰なストレス反応をするようになっただけだとは考えられないでしょうか。つまり、厳しい社会環境にある人々にとって、ストレス(緊張)として感じられない事柄が、快適な環境に慣れた日本人には過剰な緊張を強いる側面があるように思います。
  例えば、少しの暑さに我慢できない、すぐ投げ出す(逃げ出す)、すぐ諦める、ささいなことに腹を立てる、すぐにきれる(逆上する)など、日本人が過剰にストレス反応を示す兆候は、ずいぶん前から随所に見られます。
  最近でも、大津市で2011年10月に、市立中学2年の男子生徒が飛び降り自殺した問題が取り上げられています。大変痛ましい事件ですが、加害者達の陰湿さの背後にあるのはストレス反応の過敏さでしょう。克服すべきストレス反応を他に向けて発散しています。また、無関心を装っていた先生や市教育委員会の対応も、耐えなければならないストレスとしての緊張からの逃避(とうひ)であると思います。

ストレスとは

  念のために、ストレスという言葉について確認しておきます。
  本来、ストレスは物理学の用語で、物体に圧力を加えたときに生じる(ひずみによって生じる)内力(応力:元に戻そうとする力)を意味します。つまり、ストレスは、外から加わる力(外力)よって生じた外力に対抗する力(反発力)です。ただし、この力(ストレス)の単位は圧力の単位(単位面積あたりの力)になります。
  物体を心身に置き換えますと、ストレスは、外力(外的刺激)によって生じた心身の反発力・適応力(緊張など)の意味になります。したがって、寒さ、熱さ、湿度、痛み、痒み、外傷、精神的ショックなどによって起こる肉体的、精神的緊張などはすべてストレスになります。*2)

快適な環境はストレスに弱い人間をつくる

  生体を取り巻く環境は常に変化しています。従って、生体は、そのような環境変化に適応する能力があり、その能力以上の環境変化があると、その種は絶滅します。
  人間も生体である以上、本来、環境の変化に適応する能力を持っています。人間はこれまで、環境の変化に対応して生きてきました。これも、生体が持つ恒常性維持機能の1つです。しかし、いつの間にか、夏は冷房、冬は暖房、移動は車など、身体を環境に変化させることを忘れ、環境を一定に保つようになりました。そうすると、人間(というより生体)の固有の能力である生存本能は、余り使われなくなりますから劣化してきます。これが、環境変化(ストレス)に弱い人間を生み出している理由であると考えられます。
  80年代からきれる若者が増え、その原因が色々指摘されてきましたが、私には、どれも納得できませんでした。今、ある程度確信を持って言えることは、若者がきれるのは、過保護に育ったために、我慢する(自制する)能力がない(ストレス的緊張に弱い)からだということです。他にも原因があるかもしれませんが、この要因が一番大きいと思います。
  また、それから10年以上経てば、そのような親が増えるわけですから、切れる親が増え、子供の虐待(死)が増えるのは当然の成り行きです。悲劇的な現象ではありますが、時系列的に見れば自明のことです。それを親が子供に暴力をふるうのは、親が子供の時に厳しく育てられたからだという主張をする方が少なくありません。
  この主張にも一理あるかもしれませんが、難点は、躾(しつ)けと暴力を区別しないことにあります。子供を育てるのに不可欠な要素として、子供に注ぐ愛情がありますが、同時に子供が成長して社会で生きて行くには、躾(しつ)けを含む教育が必要です。
 躾(しつ)けは子供に対する愛情と責任感から出てきますが、暴力は愛情とは無縁のものです。従って、躾(しつ)けと暴力は全く異質のものですが、この区別をしない人が少なくありません。私が若い頃に、子供のお母さんから、「子供は過保護に育てた方が良いのです。」と有無を言わせずに断言されたことが何度かあります。いずれも少し反論しようとしましたが、全く聞く耳を持たず、にらみつけられました。むかしから、過保護に育てるように勧める組織、団体があったのかもしれません。

過保護に育てると虚弱になる

  過保護は、文字通りに解釈すれば、ある対象を過剰に保護すると言う意味ですが、ここでは、過保護は、本人の願望を優先して、本人の環境、状況への適応努力をさせずに保護するという意味で使います。
  水は低きに流れるといいますが、人間も可能であれば、楽な方を選びます。特に子供の場合、自ら苦労や努力する必要性のある方を選ぶ子はまずいないでしょう。子供を出来るだけ楽に、楽しく過ごさせたいという思いは、どの親にとっても共通していると思いますが、それだけでは、育てるのではなく、ペットと同じでかわいがっているだけになります。

ストレスに適応する能力は副腎にある
  人間は、外部から刺激を受けると(ストレスを感じると)、その刺激に身体が適用するように反応します。その中心的な役割を果たす臓器が副腎です。
  副腎は、様々なステロイドホルモンを分泌しますが、中でもコルチゾールは、ストレスや免疫機能を調整する機能があります。しかし、他の分泌ホルモンであるアルドステロン、アンドロジェン(DHEA)などの総合的な作用がストレス軽減に役立っているようです。
  従って、副腎の働きが弱いとストレスに弱くなります

ストレスがないと環境変化に対する抵抗力が低下する
  一般に、快適な環境に慣れると、内蔵機能、とりわけ副腎の機能が低下します。
  この例証として、米国ジョンズホプキンズ大学のリクター博士がボルチモア市で行った、ストレス的緊張と抵抗力の関係を示す実験を紹介します。*3)
  彼は、捕獲したばかりのネズミと代を重ねて数十年間、室温約25度の快適な環境で育てられたネズミの臓器を比較しました。両者とも祖先はノルウェーネズミでした。
  両者に体重の差はほとんどありませんでしたが、副腎、肝臓、脾臓(ひぞう)、心臓などの臓器は、野生の方がはるかに大きく、特に、副腎での差が著しく、野生の副腎は、飼育のものに比べて、雌で3倍、雄で2倍も大きいことが分かりました
  また、チオウレア(甲状腺機能抑制剤)に対する感受性は、飼育ネズミが野生ネズミより360倍も高い、つまり、野生ネズミの方が飼育ネズミよりも360倍も毒に強いことが分かりました。
  人間でも、1922年に、長期間ストレス的緊張にさらされる兵士の方が、一般市民より平均で20%も副腎が大きいことが示されています。
  以上の調査結果から、ストレス的緊張にさらされる経験が少ないと心身共に虚弱になることが分かります。日本人は、戦後、肝臓や副腎などの働きが低下し、毒、化学物質、精神的ストレスなどの外的刺激に弱くなったのではないかと考えています。
  赤ちゃんは、本能的に何でも口に持ってこようとします。昔は、赤ちゃんは畳をなめることによって、雑菌を取り込み、免疫力を育ててきましたが、現在、そのような環境が失われつつあります。

  人間は、清潔、快適な環境で育ち、暮らせば、外的ストレスに弱く、免疫力の弱い人間になります
  このような環境では、生体が本来持っている適応能力や抵抗力を余り使う必要がありませんので、これらの能力は衰えてきます。使わない器官、能力は必ず衰えます。(不要なものは退化する。)これが自然の摂理です。

過保護は副交感神経優位の状態に保つ

  すでに、「健康教室」の副交感神経優位で起こる病気で説明したことを繰り返しますと、
  副交感神経優位が続くと、今までストレス(苦痛)とも思えなかったものがストレス(苦痛)として感じるようになります。
    立つのが面倒
    歩くのが面倒
    動くのが面倒
    考えるのが面倒
  など、本来、生存に必要な事柄がストレス(苦痛)として感じられるようになります。
  人間は、身体を動かさない方向に社会を発展させてきました。それは、発展であり進歩であるかもしれません。しかし、同時に肉体的、精神的退化を招いていることも認識する必要があります。
  例えば、車を乗り回すようになりますと、ほんの少しの距離でも歩くのが面倒になり、車で行くようになります。これは、肉体と精神の退化です。たとえば、子供ならば、歩けばよいのに走ったりすることもあります。これは、彼らの身体の欲求でもありますが、肉体の老化・退化を感じていないからです。
  私たちの世代では、和式便所で用を足すことに違和感がありませんが(私の場合、可能なら和式便所を使うことにしています)若い人たちでは、和式便所を使うことに肉体的苦痛を感じる人が少なくありません。これは、下半身を使う習慣が無くなったために、下半身が衰えていることを意味します。
  昔から、老化は足からといいますが、下半身の衰えは様々な弊害を招きます。逆にいますと、下半身を強靱に保つことが出来れば、心身の健康維持が容易になります


*1)平成21年地域保健医療基礎統計 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/hoken/kiso/21.html

*2)<ハンス・セリエのストレス学説>
  セリエの主張は、動物(人間)が外界からの侵略や刺激を受けると、動物(人間)は、全身的な変化を起こす(それによって変化に適応しようとする)ということです。
  人体は、外的刺激により、第1期(ショック期、警告反応期)、第2期(抵抗期)、第3期(疲はい期)にわたって適応反応を示します。これがセリエのストレス学説です。
  つまり、人体は、ストレス反応を起こすと、 ショック期 になり、ショック状態(血圧低下、心機能低下、体温低下、意識低下、骨格筋の緊張など、)に陥ります。
  さらに、 警告反応期 に入り、アドレナリン分泌を行い、生体防衛反応が始まります。
  次に、 抵抗期に入り、副腎皮質ホルモンの分泌が高まり、ストレス反応によって、変化に適応するようになります。
  ストレス反応が続くと、人体の適応能力に破綻(はたん)を生じるようになります。この時期を 疲(ひ)はい期 といいます。 要するに、各器官の働き・連携に不都合が生じ、恒常性が失われていきます。

*3)田多井吉之介、田多井恭子、加齢の科学(1984年)、p103〜p105

トルーレイキ法
健康(回復)法